プロローグ

 照明を薄暗くした部屋の中でよどみないキータッチの音が響く。
 簡素な作りではあるが特注の椅子はキーボードの打ち手の背中にフィットし、滑らかな打鍵を手助けする。ディスプレイから漏れる光の強さを軽減するためにかけている眼鏡越しの瞳は瞬きの回数も少なく、画面上に刻まれる文字の軌跡を追っていた。すでに打ち手の頭の中にある文字の羅列を打ちこむだけであるために速度はほとんど停滞することはなく、ミスタッチすらも可憐にバックスペースを連打して消していく。今は癖となっている数行ごとの上書き保存でのタイムラグだけが、彼女の文章を停滞させる原因だった。
 打ち手は女性であり、肩までの髪の毛先がギザギザに別れて広がっている。頭部に付けた白いカチューシャから伸びる様に前髪がおでこを隠し、大きい瞳はブルーライトをカットする眼鏡が守っていた。口元には微笑を浮かべ、わずかに丸みをおびた頬は桃色に染まっている。
 保存が終わり、文書ソフトが再び入力を受け付けるようになると打ち手は再び指を動かし、話を紡いでいった。

【「ああっ! いやああ!」
 金玉魔神のペニスが数本に分かれてカズサの体を拘束した。
 切り札である重複武装『トリプルコスチュームユニオン』を破られたカズサは、残りの力を振り絞って近接戦闘に特化したコスチュームを身につけていた。ブーツについたローラーブレードで魔力の橋を宙空に架けながら敵へと接近し、右拳に装着した強力な鉄甲にエネルギーをチャージして叩きつけようとした。
 神をも砕く一撃を持つ破壊の右腕はしかし、敵へと届く数メートル手前でからめ取られていた。そのままカズサの体は一本の棒のように絞め上げられて右腕は腹部に、左腕は尻に触れるように固定されてしまう。絞め上げる触手の力は凄まじく、装着しているアーマーが徐々にひび割れて壊れていく。支えがなくなればあっという間に骨をきしませ、砕くかもしれない。
 襲い来る恐怖にカズサは悲鳴を上げかけたが、狙いすましたかのように飛んできた触手が彼女の口の中へと入り、咽の奥まで潜り込んだ。
「おごおっ!? おっ……お゛っお゛っお゛っお゛っお゛っお゛っお゛っ!」
「ぶははははは! ここからたっぷりと媚薬精液を注入して、貴様の毛穴という毛穴から流れ出した汗を舐め尽くしてくれるわ! ブハハハハハハハァアアアア!」
 金玉魔神が狂ったように吼えると共に、カズサの咽の奥へと宣言通りの媚薬精液が流れ込む。一度に数リットル分も注がれては胃の中から逆流してしまい、カズサは口を塞ぐ触手の隙間から白い液体を迸らせていた。栓をされていなければ年頃の女子としてはしたないことになっていたに違いない。醜態を晒さなかったことへの場違いな安堵感を覚えた後で、一気に体中が熱くなり、汗が噴き出していた。
 少しの間、口内を満たしていた触手が離れると同時にカズサは身体をくねらせて絶叫する。
「ンンゥウウウウアアアアアアッ! ヒイイイイイッ! キモッ……キモチッ……ハアンッ! あっアッアッアッアッアッアッアッアッアッ……ヒギイアアアアアアアア!」
 精液も圧倒的な強さなら、その後の快楽も同じくらい強い。電光石火の早業で体内に注がれた精液の力によって、カズサは十数回分の快楽を一瞬で味わった。その強さは股間を濡らし、乳首を勃たせてしまう。喘ぎ声が出続ける口は顎がはずれそうなほど開かれて、涎が粘ついていつまでも上下の唇を透明な橋で繋げていた。
「さあ、甘美な液体を飲ませておk】

 コンコン、と静かにノックされた扉の音に打ち手――蓮華は指の動きを止めた。いつも執筆をしている時に絶妙なタイミングで差し込まれるノックの音は、無視できないほどの存在感を放ってくる。リズムに乗りながらキータッチをする蓮華にとっては、独特の強さとテンポを持つノックは心地良く、身を任せたくなって抗うことができない。
 最も、抗う気もなかったが。
「どうしたの? セバスチャン」
 部屋に入ってこなくても、ノックの主は分かっている。わずかに金具がこすれる音以外発さずに部屋へと入り込んできた男は、蓮華の頭一つ分だけ背丈がある男だった。禿頭に鋭い目つきとごつごつとした顔立ちはサングラスをかければ歩く暴力と間違われそうだと蓮華は思う。漆黒の上下スーツに皺一つないワイシャツ。部屋の照明が明るければ、内側にある筋肉の形にスーツが歪んでいるのが彼女からもはっきりと見えただろう。
 セバスチャンと呼ばれた男は蓮華へと告げる。
「失礼します。蓮華お嬢様。お父様がすぐにお会いになりたいと……」
「お父様が?」
 蓮華は執筆用の眼鏡を外して机に置くと、椅子から立ち上がる。
 そして、その肢体を惜しげもなくセバスチャンに見せた。つんと前に突き出された乳房はただ下を向いただけではつま先を見ることはできない。腹部はうすく割れており、恥部を守るように下半身の筋肉が発達していた。
 執筆時には全裸になると決めている彼女はベッドへ向かい、無造作に投げ捨ててあったナイトガウンを手に取ると袖に腕を通す。セバスチャンが手伝う隙もなく一瞬で体を包み込むと部屋の外へと歩き出した。
「ふぅ……きっとまた小説のことでお説教ですわね」
 開けられた扉から部屋の外へと出て行く蓮華。その後ろをセバスチャンが足音もさせずについていき、扉を閉めた。
 パソコンからのわずかな廃熱や電子音のみが発せられ、静かになった部屋。
 それまで蓮華自身が放つエネルギーが渦を巻いていた部屋は時間が経っていくと共に落ち着いていく。しかし、ディスプレイからピコリン♪と音が鳴ると「メールが届きました」というメッセージと共にメールのイラストが画面中央に浮かび上がっていた。

リョナノヴェラー・蓮華ーRENKAー

『さぁあああ! 今宵も数々の名シーンが生まれましたが、次がメーンイヴェントとなりまぁあああす!』
『オオオオオオオオオッッ!』
 いくつもの照明が広大な空間の中央にある四角いプロレスリングへと注がれていた。場を盛り上げる絶叫に長けたアナウンサーにつられて観客席から歓喜の津波が押し寄せてくる中、蓮華は額から流れる汗を手で拭った。拳を痛めないようにナックルガードを付けているため汗は拭きづらく、衣服の下もじわじわと汗がたまっていき、下着を濡らしている。
(汗が流れる感触……やっぱり気持ちいいわね)
 一年を通して机に向かって指のみ動かしていることが多い蓮華には、月に一度の【イベント】はよい刺激となり、ありがたい。文章を無機質な画面に打ちこんでいくだけでは人は生きていけない。人間として生きる為に体は資本だ。先人が言った「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉を不意に思い出して、蓮華は微笑む。
 誰が見ても健全とは思えない笑みが、顔に浮かび上がっていた。
 周囲からは獣欲にまみれた男達の咆哮が飛び交って、次に行われる蓮華の試合を楽しみにしている。どんな試合が行われたのか蓮華はあえて情報を仕入れていない。しかし、清掃されたマットからわずかに精液の臭気を嗅ぎ取っていたことで内容に想像はついた。
 鎖に繋がれた獣達に餌をやるかのように、アナウンサーが声を荒げた。
『野郎ども! 待ってただろう! さあ、【闇闘技】チャンピオンのおでましだあああ!』
 歓声に導かれるようにして、リングのポールに寄りかかっていた蓮華は前に出る。観客に手を振りながらリング中央へと近づいていく間に、ナレーターも彼女の説明を続けた。
『56戦56勝! 【凌辱筆姫】RENKAぁあああああ!』
「フゥウウウウウ!」
「レンカァアアアア!」
「せんせええええええ! 新刊楽しみにしてます!!」
 客席から津波のように押し寄せる声の一つ一つに、蓮華は耳を傾けて手を振る。まだ着慣れない弓道着に歩きづらそうにしながら。
 今の蓮華の服装は、弓道をする時に着る胴着と胸当てというものだった。乳房が胸当てによって圧迫されており、息苦しさを覚える。だが、その苦しさもこれから先の快楽に変わると彼女は信じているため、外そうとは思わなかった。
 白い胴着と紺色の袴と胸当て。ここに弓矢があれば完璧に弓道をたしなむ者ではあったが、闘技場のルールでは武器使用が禁止のため持ち込むことはできなかった。
 仕方がなくエア弓道で弓に矢をつがえて弦を引き、放つという一連の動作を模倣するパフォーマンスを披露する。
 背中に流した肩までの髪の毛は、ポニーテールのように頭の後ろで黒いリボンによって結ばれていた。矢を放つ動きに合わせて小さく動く様に観客も何人かは魅了され、崩れ落ちる。彼女の流麗な動きによってイメージの矢が具現化し、胸を貫いたように。
『宮田財閥主催の、月に一回開催されるこの【闇闘技】! 死者も出ることがあるこの試合において、毎月全勝! そして毎月参戦! まさにこのコロシアムに降りた戦女神! 作家として世に出回っている作品数は長短合わせて200作品! 更に48ヶ月後まで連続で刊行予定となっております! いずれの作品も試合の体験が盛り込まれており、まさに【凌辱筆姫】という二つ名の所以でもあります!! さあ、今宵、創作の糧となるのは誰だぁああああ!』
 丁寧な説明をされると蓮華も照れてしまう。だが、ここ最近はコロシアムに出入りする客も新規が多く、いかに簡潔簡単正確に、そして魅力的に説明するかがアナウンサーの中でも課題らしい。
 それは少女戦士凌辱小説という、蓮華が手がけている作品への新規読者の増加とも関連していた。
 そんな裏事情を思いだしながらも、蓮華は対戦相手の登場を待った。
 蓮華への歓声を押しのけるようにして、逆コーナーから突進してきた大きな影がある。リングの傍で跳躍すると、宙空で一回転してからリング中央にいる蓮華のすぐ前に着地していた。リングが波打つように揺れても蓮華は微動だにしない。目の前にひざを曲げてしゃがみ込んでいた男が立ち上がると、彼女を見下ろしながら告げる。
「てめぇが凌辱筆姫、かぁ」
「……あなたが裏ムエタイ界の汚物ね?」
「魔王、だ!」
 蓮華の目の前に、褐色の巨大な岩が出現していた。セバスチャンよりも体が一回り大きく、ボクサーパンツと両拳のバンテージ以外身につけていない体は筋肉の鎧が強調されている。全身から熱を放出しているために肌から汗が滲み、スポットライトがあたって煌めいている。蓮華にはその光一つ一つが価値のある宝石のように見えていた。
『さ……さてぇえええ! 挑戦者は裏ムエタイ界の魔王! 金剛力殺(こんごうりきあやめ)だぁああああ!』
 金剛力の登場に一瞬だけ静まりかえったコロシアムを再び歓声が包み込む。観客にとっては挑戦者が強ければ強いほどに心を刺激される。
(挑戦者が強いほど、私のように君臨する女が倒されることに興奮する……分かりますわよ? とっても)
 蓮華もまた胴着の下に隠している乳首や股間が疼く。
 強い挑戦者との闘いによる興奮が彼女の内からこみ上げてきた。全裸になってとことん目の前の男と闘いを楽しみたいという衝動を、歯を食いしばって押さえつけた。
『裏ムエタイの試合では50戦50勝! 全ての試合において、相手を半死半生の目にあわせたことで、裏からも追放された危険な戦士! 二つ返事でこの世界に飛び込んできた凶戦士は、凌辱筆姫とどんな闘いを繰り広げるのかあああああ!』
 ナレーターが観客を煽り、客席から唾が雨となってコロシアムに降り注ぐ。欲望の雨に包まれる中でリング中央の二人は別世界を形成して語り合う。
「チャンピオンとか言ったが、こんな華奢な女だとはな。さっさと倒してベッドの上で介抱してやるぜ」
「……2300……いえ、2400というところ、でしょうか」
 金剛力の言葉には答えずに数字を呟く蓮華。金剛力は訳が分からず会話を続けていこうとした。だが、そのやりとりはすぐに終わる。
「あ? なにがだ? 戦闘力とかか?」
「そんなところですわね」
 蓮華は金剛力の姿とリングや客席を舐めるように視線を動かす。
 その視線にからめ取られたかのように、目の前に立つ金剛力は動きを止めていた。額には脂汗が浮かび、体が小刻みに震えている。自分の体に生まれた変化に動揺する金剛力だったが、最後にまた視線がぶつかりあった時に金剛力は「ふんっ!」と気合いを入れて不可視の拘束から抜け出した。
「あら? 汗は大丈夫かしら? 拭いておかないと冷えますわよ?」
 頬に右掌を当てて微笑む蓮華に気圧されるかのように、金剛力は後方へと下がってからムエタイの構えをとる。両手は顔の前に掲げられていたが、隙間から見える表情からは笑みも慢心も消え去って、対等以上の相手を全力で殺しにいく闘士の顔をしていた。
「お前……化け物か?」
「あら。魔王様に誉められるなんて光栄ですわ」
 袴を指で摘んで、姫のようにお辞儀をする蓮華。
 対して金剛力は静かに呼吸を繰り返していき、殺気を膨れ上がらせた。蓮華は自分へと放たれる殺気の中で両手を広げ、マットの上を滑るように移動する。観客からすればそれは舞い。スポットライトに照らされて、腕に浮かんだ汗が体の回転と共に飛び散って光の粒子のように見えた。
 二人の間にある空気が弾け飛ぶ寸前まで高まっていることに準備が整ったと判断して、アナウンサーも二人の背中を押した。
『さああ! 二人の闘士のテンションもマックス! 試合の開始です!』
 アナウンサーの咆哮と共にどこかに備え付けられたゴングが甲高い音を鳴らす。音にコンマ数秒遅れた後に金剛力は踊り続ける蓮華へと向かう。
 だが、蓮華は踊りを止めると、逃げるのではなくその場に両足をしっかりとついて両手を広げた。まるで胸の中へと飛び込んでくる金剛力を受け止めるかのようだ。
「一発目は撃たせてあげますわ」
「――!」
 蓮華の誘いとも取れる言葉に、金剛力は躊躇なく前に出る。マットを陥没させるほどの踏み込みから前方へと飛び出して、右膝を解き放つと蓮華の鳩尾へと叩き込まれていた。
「ぐはああああっ!?」
 胸元を覆うようについていた胸当てが粉々に破壊され、打ち込まれた鳩尾から背中に衝撃が貫通する。体重が劣る蓮華はその場に踏みとどまることはできずに後方へと吹き飛ばされ、ロープに体が激突した。大きくたわんで元に戻る力により蓮華は前に倒れそうになるが、真下から襲い来る金剛力の右足を両腕で受け止めた。
「――!?」
 宙空に持ち上げられた蓮華の顔面へ直撃させるように、左足の前蹴りが放たれる。空間を切り裂く極太の鉈と呼ぶにふさわしい威力が蓮華のクロスした両腕を直撃すると、体が吹き飛んだ。一般的な女性と体型がほとんど変わらない蓮華の体を数メートル吹き飛ばす蹴りの威力に観客席からも驚きの声が上がる。
 だが、吹き飛んだ蓮華はマットに叩きつけられる直前に姿勢を正して四つん這いになって着地した。金剛力がその光景を見て驚きに目を見開いている間に蓮華は立ち上がると、両腕をぷらぷらと振りながら告げた。
「良い蹴りですわね」
 まるで紅茶を一口飲んで舌の上で転がすように、蓮華は膝が打ち込まれた鳩尾と蹴りを受け止めた腕を愛おしそうに眺めていた。
「……なぜだ。俺の蹴りが打ち込まれれば内蔵は破裂し、腕は折れる……」
「それに、二発目以降を許すつもりはありませんでしたが、防御がやっとでしたわ。これまでの対戦相手は皆さん、一発目を撃たせてあげると言うと誰もが動揺しましたが、あなたは躊躇なく仕掛けてきた。その違いかしら? 本当に、たいしたもの」
「なぜだと聞いている!」
 金剛力の叫びにも似た問いかけにも、蓮華は答えようとせずに不適な笑みを浮かべた。そして、身構える金剛力の体を舐め回すように見ながら別の言葉を口にする。
「あなたのその技……ムエボーランですわね?」
「……知っているのか?」
 金剛力が驚いているのをよそに蓮華は頬に赤みを浮かべながら言葉を紡いでいく。目の前に好物がやってきてはしゃぐ子供と変わらないその姿に、金剛力は逆に褐色の頬を青ざめさせていく。
「古式ムエタイ(ムエボーラン)。今のようにムエタイがスポーツ化する前の、殺傷力が遙かに上の戦闘技法。戦争で兵士を殺すための技術。映画で見た程度でしたが、実際に闘えるなんて……これでまた創作に生かせますわ」
「ほざけええ!」
 怒りを露わにして襲いかかってくる金剛力に対して、蓮華は内心から込みあげる熱を押さえきれなかった。
 最初に対峙した際には様々な感情が向けられていた。
 蓮華の容姿に対しての欲望。実力に対しての懐疑。侮り。そして、自分が必ず勝つという油断。
 だが、今はよけいな感情が削ぎ落ちていき、純粋な殺意の風が吹きつける。
(心地よい殺気……これこそ、体を張る理由になりますわ!)
 金剛力は拳と前蹴りを駆使して蓮華の射程外からの攻撃を放ってくる。
 右足の前蹴りを躱して中に入ろうとすると、上から岩をも砕きそうな肘が振り下ろされてくる。蓮華は受け止める前に横に躱して掌で肘を叩き、軌道を逸らしてから蹴りを脇腹へと放ったが、金剛力もその場から飛んで蓮華から離れ、再び飛び込んでくる。
(知識だけしかありませんが……情報通り回し蹴りがない、のかしら?)
 敵に掴まれるリスクを避け、一撃で敵を屠るために古式ムエタイには回し蹴りが存在しないという。ネット上や書物からの情報ではあったが、目の前にある現実が確証を深めていく。金剛力の一撃一撃には特別な殺気がこもっていて、動きの鋭さに掴むことができない。
「ふっ!」
 リーチの差は克服できないため、まずは攻撃を司る手足を痛めつけようと掌底を放つ蓮華。だが、攻撃が手足に当たっても金剛力にダメージを与えることは見た目上、できていない。攻撃のために身に着いた筋肉は鋼のようで撃ちこんだ掌の方が痛む。
(名前からとるなら、金剛石のよう、と形容すればよいのでしょうね)
 脳裏に浮かんだ形容に笑みを浮かべると、金剛力は自分が馬鹿にされたと感じたのか怒りを更に噴き出させて鋭い攻撃を仕掛けてきた。
 ただでさえコンパクトな手足の振りが更に小さくなり、蓮華は肉体に手が届くところまで踏み込むこともできず、バックステップで攻撃を躱すしかなかった。
(やはり、想定よりてこずりますわね……4900……? いえ、5000まで上がっていますわね)
 蓮華の大きな瞳に金剛力の全身がすっぽりと入るように映る。自分へと近づいてくることで巨大化する手足を一つ一つ確認しながら、動きのリズムを体に刻み込み、口の中で呟く。
「ルァアアアアアアアアアアア!」
 攻撃が当たらなくとも、金剛力は攻撃のみに集中して剛腕を振り下ろし、剛脚を蹴り上げる。普通の人間ならば一撃で沈むような攻撃を休まず続けられること自体が裏ムエタイ界の魔王にふさわしい実力を蓮華へ伝えてきた。
(もう……少し……)
 バックステップを続け、ロープが近くなれば横に飛んで移動する。蓮華が逃げることに対して、観客達はヤジを飛ばすよりも興奮の声を叫んでいた。はた目から見ても、蓮華が大きく飛んで躱すことが増えていて、追いつめられているのが分かったからだ。逃げ続けた先にあるショーへの期待が格闘で殴り合い、迸る血飛沫がないことへの不満を押しのけている。
 だが、蓮華の逃げはもう終わっていた。
(……ここですわ!)
 下から上へと跳ね上がった右足のつま先が前髪を跳ね上げたところで、蓮華は金剛力に自分から近づいた。
「――っ!」
 懐に踏み込まれた金剛力の顔が驚愕に歪む。自らの攻撃をかいくぐって踏み込んできた蓮華への驚きの視線と、蓮華の集中した表情からの視線がぶつかり合う。
 蓮華は最短の軌道で前方へと掌低を突き出して、金剛力の鳩尾へと叩き込んだ。
「ごばあっ!?」
 掌低での一撃はカウンターとなり、威力が増幅されて相手を襲う。バランスを崩した金剛力は吹き飛ばされてマットを何度も回転してからうつ伏せの体勢で止まった。倒れた体勢のままで体が痙攣している姿は死にかけた魚のようで蓮華は微笑みを浮かべる。
「本当に大したもの。5800……というところ、かし――ぁ」
 掌低を放った体勢を崩して立ち上がった蓮華は、急に力が抜けてその場に座り込んでいた。膝をマットに付けたいわゆる女の子座りになり、袴がスカートのように広がる。自分でも理解できない虚脱感にリングに上がって初めて蓮華の顔に汗が浮かんだ。
(今頃……攻撃が、効いて……)
 蓮華は膝が叩き込まれた鳩尾と攻撃を受け止めた両腕へと視線を映す。鳩尾と両腕がひび割れて、力が零れ落ちていくような感覚に額から汗が流れ出した。
 過去の56戦でも軽い痺れや痛みを感じたことはもちろんあった。むしろ、初期の試合の頃は今よりも未熟であり、酷いダメージを追って危うく完全敗北しかけたこともある。最近は闘いの中でコツを掴み、独力で学んで練り上げた内気功によってダメージを軽減していたために久しく痛みを感じていなかった。
(まずい……これは……)
 年月を重ねてきた蓮華にとって忘れていた痛みが蘇る。それは、彼女に一歩ずつ敗北の足音を運んでくる。
 その一歩が大きく音を立てた時、金剛力が立ち上がって蓮華を睨みつけていた。
「な……なんだよぉ……効いてるんじゃねぇか! 当たり前だよな! 俺が、こんな小娘に負けるわけがないぃいいいい!」
 蓮華が放った鳩尾への一撃で金剛力の殺気が霧散していた。その代わりに、また様々な感情が吹き荒れる。
 自分の実力への信頼を一瞬ではあるが揺らがせた金剛力は、その事実をもみ消すために怒りを蓮華へと向けてくる。背筋をこみ上げる悪寒に蓮華は立ち上がろうとしたが、両腕をマットについても体を起こせない。両足に力を込めて立ち上がる頃には、もう金剛力は傍まで悠々と歩いてやってきていた。
「らあああっ!」
「がぼおっ!?」
 再び鳩尾への一撃をもらい、蓮華は崩れ落ちる。今度はすぐに体を衝撃が背中まで突き抜けて、たまらずマットに顔をぶつけて咳込んでしまう。
「オオォオオオオオ!」
「ヤレエエエエ! ヤッチマエエエエエ!」
 観客席からも殴られ、マットに沈む蓮華を望む声がわき起こる。
 会場に集まっているのは蓮華のファンだけではなく、強い女性が勝つ姿も負ける姿も同様に興奮する者達も数多くいる。初期から蓮華を追いかけているファンも小説のコアな読者という以前に、強い女が負けて酷い目にあうことの愛好家達。初期からコロシアムに出入りしている者以外は久しぶりに見ることができる蓮華のピンチに、テンションはこれまでと桁違いに熱くなる。
 金剛力も客席から力を吸い取っているかのように両手を掲げた後で、蓮華の肩を掴むと持ち上げていた。
「ぐ……はっ……」
「お? 中にはシャツ着てないのか。立派なブラジャーだなぁ」
「きゃっ!?」
 金剛力は蓮華の肩から胴着へと持ち変えると回転を始めた。マットと水平に回転することで意識が遠のいていく感覚に蓮華はまずいと思っても対応できない。もはや両腕は動かず、拘束を外すにも両足だけではできない。
(ここまで強いなんて……さすがに想定外、でしたわね……)
 胴着を掴んでいた金剛力の手が離されて、蓮華の体は宙を舞う。背中がロープに激突してたわみ、前方へと体が弾かれると同時に接近していた金剛力の技が蓮華へと叩き込まれた。
 下からの膝蹴りと同時に両肘が後頭部へと叩き込まれる。放たれた二方向からの攻撃を完全に防ぐ手立ては蓮華にはなく、辛うじて片腕ずつ顎と後頭部に添えて肘と膝の威力を抑えるしかできない。
「――――ッッ!?」
 激しい音と共に蓮華は仰向けに崩れ落ちていた。
 頭を貫いた衝撃に意識が途絶え、すぐに復活する。電灯のスイッチを連続して切り替えたような感覚に加えて、脳からの指令を送る神経が切断されたように体はぴくりとも動かなかった。
(強い……)
 仰向けに倒れたままで天井を見ていると、揺らめいて実像を結ばない。観客席からの声援も膜が耳に張っているかのようにくぐもって聞こえて、体は繋がっているのかすら分からない。
「く……ふふふ……ははは……おそろ……しいな……お前は……あそこで、咄嗟に腕を入れるとは……でも……終わりだ!」
 光が目に飛び込んできて眩しかったが、言葉が聞こえると共に遮られる。
 金剛力は仰向けの蓮華を跨ぐようにしゃがみ込むと、袴の腰を結んでいる紐を外してショーツと一緒に下半身から剥ぎ取っていた。汗ばんでいる下腹部に濡れた陰毛が金剛力の視界に入る。袴を遠くへと投げ捨てて、胴着も力づくで脱がしていく。蓮華はブラジャーのみを着けた状態でうつ伏せに倒れていたが、そこから立ち上がる力もなく、金剛力の前に尻を突き出すような体勢のままマットを涎で汚すしかなかった。
「へへへ……最初に言ったとおり、介抱してやるよぉ」
 金剛力の股間は膨れ上がっており、ボクサーパンツを脱ぎ捨てて屹立したペニスを見せつけた。蓮華は顔を後ろに向けて金剛力が周囲に晒す息子を一瞥してから、苦しげに息を吐きながら呟いた。
「体が立派な割には……粗末な男根……ですわね……」
 蓮華の言葉に金剛力は顔を真っ赤に染める。観客達からは遠すぎて見えないが、金剛力のペニスは日本人の一般男性平均よりは明らかに小さかった。股間が膨れ上がっているように見えたのも、発達した腰回りの筋肉によってパンツがきつくなっていたから。試合の中で数々のペニスを見て、執筆に生かしてきた蓮華の記憶にある中でも小さい方から数えた方が早いほどの小ささだった。
 金剛力の名前にふさわしくない弱々しさを笑う蓮華に、金剛力はどす黒い怒りを迸らせて全てをぶつけていく。
「このアマァアアアア! てめえは負けたんだオラァアアアアアア!」
 粗末と呼ばれたペニスを背後から膣口へと突き刺す。蓮華の鍛えられた下腹部は小さな男根でもしっかりとからめ取り、抽送が始まるとすぐに圧迫して金剛力の性感を高めていく。
「おおあああ! こりゃ……いいぞ! なんだこれ! お前、何人の男を咥えこんできたんだあ!」
「んっ……あっ……あっ……あっ……あっ……はうっ……んっ……んひっ……ふっ……あふっ……んあっ!」
 ペニスが膣壁をこすることで蓮華の腰から全身へと快感が広がっていく。犯されているというのに蓮華は自分が感じているという事実を認めざるを得なかった。相手の小さなペニスをカバーするのが自分の鍛えられた下腹部の筋肉。絞め上げて金剛力に快楽を与えると共に自分も絶頂に向かって駆け上る。
「んあっ……んっ……あっ……はあっ……んはっ……ぅあう……」
「このやろおああああ! 何が凌辱筆姫だ! お前の方が凌辱されてるんじゃねぇかよ! オラオラオラオラァアアア!」
 尻を掴む指の力は強まり、白く丸い尻に赤い痕がつく。激しく突き込むことによって臀部と尻がぶつかり合い、汗が弾かれて水面を叩くような音が広がっていく。男達はリング上で繰り広げられる凌辱劇に盛り上がり、自らのペニスをしごきはじめる者までいた。
「フゥアアアンッ!?」
 金剛力が尻から手を離して蓮華の両腕を掴んで上体を持ち上げたことで、嬌声が大きくなる。背中がマットと平行になり、ポニーテールにしていた髪の毛がその名の通りに揺れ動く。だが、髪の毛を結んでいたリボンもこれまでの闘いの激しさと金剛力の突き込みの衝撃によって緩み、突き込みが五十を越えたところでほどけ、髪の毛がばらけた。
「んあっあっあっ……あっあっあっあっ……んっあっあっあっ……はんっうっ……んはっ……はっあっあっあっあっあっ……んぅうう……」
 首の力も入らずに頭部が前後左右に激しく揺れる。前髪は汗で額に張り付いて、広がった髪の毛によって顔全体が隠れてしまう。重力に従って乳房がマットに向かって垂れ、ぶらぶらと揺さぶられるのを背後から見て、金剛力は両手を胸元に回して背後から抱きしめた。
「アゥアアアアッ!?」
 結合したままで背後から乳房を掴み、抱きしめる金剛力。体格差があるため挿入したままだと蓮華の頭の上に金剛力の顎が位置していた。見下ろす形から腰を前に突き出して、金剛力は射精に向けて最後の抽送を開始する。
「たっぷり……中に……出してやるよ……負けたやつの末路だ……悪く思うなよ……うっうっうっうっ……おっおっおっ……」
「んはっアッアッアッアッアッハアッンッうっうっうっうっうっああっ……はげっ……しっ……あっあっあっあっはっアッアッアッアッアッアッアッアッアッ……ンアアアアアアッ!?」
 高まる快楽に抗えず、蓮華は嬌声をあげる。腰の動きに連動して呼吸をする余裕もないまま肺に残った空気を出すだけ。膣内も愛液が分泌されてペニスの動きがスムーズとなり、金剛力も汗をまき散らして蓮華の背中に汗を塗りつけていく。
「んぐうぅ……おおおおおお!」
「フゥアアアアッ……ゲボッ!?」
 蓮華が下腹部に力を入れ、ペニスが絞めつけられたことによる気持ちよさに金剛力は前方へと体を倒した。当然、背後から抱きしめられている蓮華もマットと金剛力に挟まれるように倒れ、圧迫感に潰れた声が上がる。金剛力は腰だけを別の生き物のように動かして斜め上から膣へとペニスを挿入し、激しくこすりつけた。蓮華の筋肉だけではなくマットと自分の体を使った圧迫によって、金剛力のペニスは限界を迎えた。
「オォオオオオオオアアアアアアアッ!」
 小さいペニスを可能な限り奥へと挿入した上で、白濁液が膣の中へと放出される。飛び散る精液の衝撃と圧迫される苦しさによって蓮華もまた、絶頂に達していた。
「キャアアアアアアアッ!? アッ……ハアアアアアッ!」
 巨体の下で絶頂の衝撃にもだえる蓮華は体を激しく動かした。しかし、抱きしめる金剛力の腕力も凄まじく、結局、ほとんど動けないまま余韻に浸る。絶頂に達した金剛力が発してくる荒く生暖かい息を耳から鼻にかけて感じることになった。
「……ふぅううう……いい……マンコ、だったぜ……」
 先に余韻から回復したのは金剛力だった。マットと蓮華の体に挟まれていた両腕を引き抜き、続いて膣からペニスを抜く。一緒に精液がどろりと流れ出してマットを濡らした。
 立ち上がった金剛力は自分が勝利した証として右腕を掲げる。一連の凌辱劇を見て観客も立ち上がり、スタンディングオベーションで彼を迎えた。
 だが、すぐに金剛力は違和感に気づいて周囲を見回していた。
「どうしたのかしら?」
「……もう試合は終わったんじゃ――!?」
 誰に対して質問をしたのかと考えた金剛力は、蓮華から一瞬で距離を取っていた。蓮華はうつ伏せの状態から仰向けとなり、上体を起こすとあぐらをかいて座っていた。
 客席からの歓声は凄まじく、リングを包み込むように発せられていたにもかかわらず、蓮華の声ははっきりと金剛力の耳へと届いていた。
「ほぼ10000。かなり膨らみましたわ」
 蓮華は立ち上がると股間に指を入れて精液をかきだす。マットに垂れ流せるだけ流すと、挿入していた人差し指についた精液を舌で舐めとった。
 快楽を得て桃色に染まった頬を笑みの形に変えて、蓮華は言った。
「セックスは私の創作の糧となってくれたお礼ですわ。ありがとう。はぁ……濃厚なザーメンでしたわ」
「お……おまえ……おまえは……負けたんじゃ……」
「あら? いつ、試合終了のゴングが鳴ったのかしら?」
 蓮華の言葉に金剛力も自分の中に生まれていた違和感がはっきりとしたのか、怯え混じりの顔を見せる。その表情を見て、蓮華は逆に笑みを深めた。
「あなた、本当に強かったわ。正直な話、ここまで追いつめられたと感じたのは久しぶりでしたのよ」
「……な、んだと……何を……言って……」
 うろたえる金剛力の方に蓮華は歩き出す。その足取りは自然で、ほんの少しそこまで散歩をしにいくといった体で金剛力の傍まで近づいていた。殺気立っている金剛力の制空権へと難なく入った蓮華は、立っている金剛力の体を掴んでよじ登ると肩車の体勢からあぐらをかいて両足で首を固定した。
 巨人の肩に乗る女性。三人分はある人間タワーは数秒ではあるが観客の視線を集める。場が停止している間に金剛力は思考すら停止して、何もすることなくただ立っていた。
「さあ、ラストスパートに参りましょう」
 蓮華はゆっくりと体を右へと傾ける。しっかりと固められた首。そして頭部は蓮華の動きにあわせて水平に横になっていった。
「……ぁああああおおおおおっ!?」
 両足で挟んだ首からメキリ、と音がした瞬間に金剛力は自分から蓮華が倒れ込んだ方向へと飛んでいた。頭上にいる蓮華をマットへと叩きつけようと横の動きをするものの、蓮華は遠心力を利用してマットに頭がつく前に自分から反対側へと体を移動させる。蓮華の動きに遅れてしまえば首の骨が折れる未来が金剛力にはすでに見えており、彼女に遅れないように上半身を回転させるしかなかった。
 巨体が凄まじい勢いで一回転した末に、マットへと突き刺さる金剛力の両足。轟音をかき消すように観客席からはアクロバティックな動きを称える歓声がわき起こる。
 金剛力の頭の上で蓮華は両腕をひらひらと動かして観客達へと応えていた。
「あなたもよく頑張りましたよ。久しぶりに初槁で10000字を越えることができました」
「いち……まん……じ……?」
 蓮華の言葉の意味をとらえかねて金剛力は動きを止める。じっとしていると首筋を流れる液体の感触がはっきりと伝わっていた。剥き出しの膣口から溢れ出しているのは自身が蓮華へとそそぎ込んだ精液。あぐらでしっかりと首筋を固められている為、背中の方に流れていく。感触が気持ち悪くても、金剛力は体を震わせているために動くことができなかった。
「最初にアナウンサーも言っていたでしょう? あなたとの闘いは私の創作の糧となると。私も、試合の開始前から今まで、ずっとカウントしていたのですわ」
「かうん……と……?」
 最初に向かい合った頃。闘いの最中。そして凌辱の終わり。
 蓮華の口から漏れた数字のことを思いだし、金剛力は自分の思い違いを知った。闘いのテンションが上がっていくごとに数字も進んでいったことから、自分の力を数値化して遊んでいると考えていた。戯れ言だと無視し、何より蓮華の挑発によって途中から数字の存在をほとんど右から左へと聞き流していた。
「セックスも気持ちよかったでしょう? あなたの小さなモノをちゃんと絞め付けて、射精させてあげたのですから」
「……俺が、お前の中に出すことまで計算だったっていう……のか?」
 バカな、という声が漏れ出す前に蓮華が左へと体を倒す。金剛力も気づいて後を追うように横に上半身を倒す。わずかに遅れて首に痛みが走ったが、金剛力は再び360度の側転で命を拾う。
「はーっ! はーっ! はーっ! はーっ!」
 息を切らせた金剛力の頭を、優しく撫でながら蓮華は告げた。
「私は、特別性の避妊薬を飲んでいつも試合に臨んでいますの。だから妊娠は確実にしません」
『こ・ろ・せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!』
 客席から届く殺害コール。声の洪水に二人は飲み込まれ、バランスを崩したかのように三度、蓮華は体を倒す。今度は右側に体が流れていくが、続いた金剛力の動きには致命的な遅れが生じていた。
「転蓮華」
 金剛力の命を奪う技の名前を、蓮華が呟く。その言葉が届いたのか、蓮華には確かめるすべはない。
 金剛力の上半身がちょうど180度回転する前に、顎の先が天井に向けて曲がった。首の骨が折れる音は、完成にかき消されてほとんど聞こえない。あまりにもあっさりとした死を与えた蓮華は体の勢いを止めることなく、金剛力の首を支点として一回転した後で体から離れた。
「あなたの活躍は、推敲して、更に魅力的に描いてあげますわ」
 遅れてマットへと体を沈めた金剛力へと呟いてから、蓮華は観客へと両手を上げた。
『――ゥオアオオオオオオオ!』
「レンカアアアアア! レンカアアアアアア!」
 壊れたテープレコーダーのように叫び続ける観客達の声を裂くように試合終了のゴングが鳴り響く。
『勝者ぁあああ! 凌辱筆姫! RENKAアアアアアッッ!』
 けして凌辱されただけでは終わらない。
 相手を完全に戦闘不能にするまで続くこの闇闘技のルールを裏ムエタイ界の魔王が把握しきれていなかっただけ。
 蓮華は全裸の体に浮かぶ汗を拭くために、放置されていた袴を手に取って体を滑らせる。届かない背中は置いておいて、最後に股間を拭う。こびりついていた精液をふき取ってから腰に巻いて下半身を隠すと、観客に向けて再び手を振り始める。勝者の貫禄を見せつけるように。
「ぉおおおめでとうございます! 蓮華さん! これで57連勝となりましたね! 今のお気持ちは!」
 近づいてきたアナウンサーにマイクを突きつけられ、蓮華は一つため息を吐いた。
 話すことはだいたい決まっている。だが、今回はいつもと異なる要素があったことを思い出して、作業のように瞼を閉じ、開いてからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「次の試合のコスプレ衣装は、前に取ったアンケートで二位のコスチュームにしようと思いますわ。楽しみにしていてくださいませ」
『オオオオオオオオオオオオッ!』
 蓮華が客席に笑顔を振りまいている横を、六人がかりで死体が運ばれていく。顔があらぬ方向へと向いた男の顔は瞼が見開かれたままで誰も閉じようとはしなかった。
『さぁあああ! 今宵も数々の名シーンが生まれました! 最後はやはり凌辱筆姫! 今宵も屈強な戦士が彼女の創作意欲に飲み込まれて命を散らした! 次回はどのような戦士が創作の糧となるのか! みなさま楽しみにしていてください!』
『オオオオオオオオオオ――』
 闇闘技は終わりを告げ、蓮華がリングから去っていっても観客達のテンションは落ちない。
 彼女が通路に消え、完全に闘技場から姿を消してもなお熱はすぐに収まりそうになかった。
「初稿、約13000字。完成ですわ」
 今回は言わなかったいつものセリフを呟いて、蓮華は通路の奥へと消えていった。

エピローグ

 照明を薄暗くした部屋の中でよどみないキータッチの音が響く。
 簡素な作りではあるが特注の椅子はキーボードの打ち手の背中にフィットし、滑らかな打鍵を手助けする。ディスプレイから漏れる光の強さを軽減するためにかけている眼鏡越しの瞳は瞬きの回数も少なく、画面上に刻まれる文字の軌跡を追っていた。すでに打ち手の頭の中にある文字の羅列を打ちこむだけであるために速度はほとんど停滞することはなく、ミスタッチすらも可憐にバックスペースを連打して消していく。今は癖となっている数行ごとの上書き保存でのタイムラグだけが、彼女の文章を停滞させる原因だった。
 打ち手は女性であり、肩までの髪の毛先がギザギザに別れて広がっている。頭部に付けた白いカチューシャから伸びる様に前髪がおでこを隠し、大きい瞳はブルーライトをカットする眼鏡が守っていた。口元には微笑を浮かべ、わずかに丸みをおびた頬は桃色に染まっている。
 保存が終わり、文書ソフトが再び入力を受け付けるようになると打ち手は再び指を動かし、話を紡いでいった。

【「へへへ……最初に言ったとおり、介抱してやるよぉ」
 ミノタウロスマスクの男の股間は膨れ上がっており、ボクサーパンツを脱ぎ捨てて屹立したペニスを見せつけた。お雪は顔を後ろに向けてミノタウロスマスクが周囲に晒す息子を一瞥してから、苦しげに息を吐きながら呟いた。
「体が立派な割には、粗末な男根なのですね」
 お雪の言葉にミノタウロスマスクは顔を真っ赤に染める。ミノタウロスマスクのペニスは世界の一般男性平均よりは明らかに小さかった。股間が膨れ上がっているように見えたのも、発達した腰回りの筋肉によってパンツがきつくなっていたから。闘いの日々で数々のペニスを見てきたお雪の記憶にある中でも小さい方から数えたほうが早いほどの小ささだった。
 ミノタウロスの名前にふさわしくない弱々しさを笑うお雪に、ミノタウロスマスクはどす黒い怒りを迸らせて全てをぶつけていく。
「このアマァアアアア! てめえは負けたんだオラァアアアアアア!」
 粗末と呼ばれたペニスを背後から膣口へと突き刺す。お雪の鍛えられた下腹部は小さな男根でもしっかりとからめ取り、抽送が始まるとすぐに圧迫してミノタウロスの性感を高めていく。
「おおあああ! こりゃ……いいぞ! なんだこれ! お前、何人の男を咥えこんできたんだあ!」
「んっ……あっ……あっ……あっ……あっ……はうっ……んっ……んひっ……ふっ……あふっ……んあxt」】

 コンコン、と静かにノックされた扉の音に打ち手――蓮華は指の動きを止めた。いつも執筆をしている時に絶妙なタイミングで差し込まれるノックの音は、無視できないほどの存在感を放ってくる。リズムに乗りながらキータッチをする蓮華にとっては、独特の強さとテンポを持つノックは心地良く、身を任せたくなって抗うことができない。
 最も、抗う気もなかったが。
「どうしたの? セバスチャン」
 部屋に入ってこなくても、ノックの主は分かっている。わずかに金具がこすれる音以外発さずに部屋へと入り込んできた男は、蓮華の頭一つ分だけ背丈がある男だった。禿頭に鋭い目つきとごつごつとした顔立ちはサングラスをかければ歩く暴力と間違われそうだと蓮華はいつも思う。
 いつも同じ印象を持たせるというのは、一日ごとに細胞が死に、生まれ変わる人間にとって実は恐ろしいことなのではないか。
(……セバスチャンと闘ったら、また一つ成長できるかしら)
 漆黒の上下スーツに皺一つないワイシャツ。部屋の照明が明るければ内側にある筋肉の形にスーツが歪んでいるのが彼女からも見えただろう。
 思い浮かんだ思いからくる蓮華の熱い眼差しを受けても、セバスチャンは気にすることなく告げる。
「失礼します。蓮華お嬢様。お父様がすぐにお会いになりたいと……」
「お父様が? ふぅ……きっとまた小説のことでお説教ですわね」
 蓮華は執筆用の眼鏡を外して机に置くと、椅子から立ち上がる。
 そして、その肢体を惜しげもなくセバスチャンに見せた。
 つんと前に突き出された乳房はただ下を向いただけではつま先を見ることはできない。腹部はうすく割れており、恥部を守るように下半身の筋肉が発達していた。
 執筆時には全裸になると決めている彼女はベッドへ向かい、無造作に投げ捨ててあったナイトガウンを手に取ると袖に腕を通す。セバスチャンが手伝う隙もなく一瞬で体を包み込むと部屋の外へと歩き出した。
 開けられた扉から部屋の外へと出て行く蓮華。その後ろをセバスチャンが足音もさせずについていき、静かな動作で扉を閉める。
 廊下を歩く時に二人とも足音は立てない。蓮華とセバスチャンは共にスリッパを履いているが、普通ならば鳴るであろう廊下と触れる音は聞こえない。足音を消すことが息を吸うくらい二人には自然なことだった。
「そうだわ。セバスチャン。この前の話はどうでした? 初槁、読んだのでしょう?」
「バトルコスプレイヤー・カズサのトリプルコスチュームユニオンの敗北からの全身八十時間舐め回し。更に疑似体験による三百六十五日の八穴同時触手凌辱というのは、文字面も、読んで思い浮かべる映像も非常に甘美でありました。お嬢様のストーリー展開や描写力の向上は1作目から見ている私にとっては娘の成長のごとく映ります」
「ありがたく受け取っておきますわ」
「ただ、相変わらずネーミングセンスは壊滅的なようで。金玉魔神はいただけません」
「ありがたく受け取っておきますわ」
 ちくりと心に刺される針も蓮華の歩みを止めることはない。セバスチャンの感想が終わり、しばらく無言の歩みが続いた後で【お父様】の部屋の入り口に立った蓮華は扉を軽くノックしてから返答を待たずに中へと入った。
「お父様。蓮華です。入りますわ」
 部屋の中には蓮華のみが入り、セバスチャンは廊下に待機する。蓮華は後ろ手に扉を閉めて、執務机の向こうに座っている父親を見た。蓮華の美の基準からすると醜い、太った男。頭は禿げてはいないものの後、数年すれば間違いなく肌色が多くなると分かる。目つきは鋭く、鼻は大きく、唇はたらこ。頬には吹き出物が多い【お父様】の顔を眺めながら蓮華は考える。
(いつ見てもお父様の容姿は好きになれませんわね。人は見かけによらないと言うことでしょう)
 容姿は醜くとも、表の世界ではかなりの権力を持っている。それだけの能力があるというのは、裏の世界で格闘を続けている蓮華自身も理解していた。
 脂ぎった手が持っているのはA4の紙の束だ。間違いなく自分が渡した初稿だと分かっているため自分から話しかけることはしなかった。
 蓮華が書いた小説は世に出回る前に数度の推敲が行われるが、書き上げた初稿を蓮華はセバスチャンと【お父様】にだけは読ませている。編集者に見せる前に、できる限りクオリティを上げておきたいという思いから客観的な視点を求めた結果だった。
 やがて【お父様】は紙に視線を落としたままで呟いた。
「蓮華。今日も元気そうだな」
「ええ。お父様。そちらも、あちらも」
 紙と扉の外を別々に指さして、暗に示す蓮華。その彼女に向かって【お父様】はため息を吐いてから言った。
「また、お前は。こうやって小説に実際の殺人内容を盛り込んだなら、気づく者は気づく。そうしたら揉み消しが大変じゃないか」
「ふふ。でも、その大変さを楽しんでいるのでしょう? お父様も。もう248回聞いています。そして、もうすぐ249回目が来るでしょう」
「ははは、そうだったかな」
 乾いた笑いを浮かべる父親に対して蓮華は濡れた笑みを浮かべる。精神的な圧迫感を楽しむ父親の顔を見ると自分も粘液に包まれたような錯覚を得る。
 だからこそ、蓮華からもいじわるな言葉を投げかけた。
「本当に大変なら、泰造伯父様のお抱え暗殺者を使えばいいでしょう?」
「……それはまあ……そうだが……」
 父親が兄には頭が上がらないことを知っていて、あえて言葉を選ぶ。兄のことを思い出しているのか【お父様】は顔を歪ませていたが、蓮華は口の端から流れる粘ついた涎を見逃さなかった。
「これ以上用がないのでしたら、部屋に戻らせていただきますわ。寝る前までに書き上げたいシーンがありますので」
「そ、そうか……分かった。夜更かしをし過ぎないようにしろ。あ、それとだな蓮華」
 父の呼びかけに扉に手をかけた状態で蓮華は振り返る。視線の先にはいつになく真面目な表情があり、蓮華は体を向けようとしても金縛りにあったかのように動けない。真剣な眼差しが不可視の力となって体を拘束している。
 一体何を言われるのかと緊張し、気を引き締めたタイミングで【お父様】は言った。
「お前の人気の一つとは分かっているが。ネーミングセンスはもう少しなんとかならないか?」
「……ありがたく受け取っておきますわ」
 ほんの少しだけ遅れて答え、呪縛を解く。僅かな心のしこりを抱いたまま、蓮華は部屋の外に出た。背中に感じる熱い視線を扉でシャットダウンし、自分の部屋へと戻っていく。
(ネーミングセンスを磨くのは、どんな相手と闘えば良いのかしら?)
 自然と対戦する相手から搾取する方向で考え始めた蓮華は、金剛力のことを思い出す。なかなか凝った名前だと考えたが、すぐに無駄であると悟ると頭を振ってイメージを霧散させた。
(……あの名前が良いのか悪いのか、よく分かりませんわね……ん?)
 歩いていて蓮華の中に違和感が湧き上がる。いつもの空間を乱す存在は、すぐ後ろにいた。
 空気のように存在を希薄にしたセバスチャンは蓮華の背後をついてきていたが、いつもとほんの少しだけ気配が異なっている。その違いに気付かないほど蓮華は鈍くはない。
「何かおかしいことがありましたか? セバスチャン」
「いえ。宮田一族の中でも、この家に仕えることができて幸せと感じておりました」
 蓮華が背後を見ずに問いかけたことに対して、答えが返ってくる。すぐにセバスチャンはいつものように気配を消して蓮華の後ろを歩き始めた。蓮華はついさっき考えついたことを思い出して、口にする。
「あなたには、この宮田蓮華個人に仕えてほしいと言ったら、怒りますか?」
「お嬢様の創作の糧になるのは、まだ命が惜しいでございます」
「そう」
 自分の告白が言外に告げていることを理解して、断ってくるセバスチャン。
 拒否に対して蓮華は怒りも悲しみもしない。
 質問をして答えをもらっただけ。
 廊下を歩く足が速まり、ほぼ無音だったスリッパからわずかな音が漏れる。気分の高揚にあわせて、蓮華は体運びが雑になっていった。
「さあ、もう少しだけ。今宵も創作にいそしみましょう」
 背後を歩くセバスチャンは何も言わずに一つだけ頷いた。


 宮田蓮華
 リョナ小説家にして宮田財閥主催である裏闘技の女王。
 薄汚い権力の庇護の下で自分の創作欲を満たすために、彼女は闘い続ける。

作品キャプション

今宵も凌辱筆姫は男の命を糧とする……

獣欲迸る会場の中心には四角いリング。そこに立つのは二人の闘士。
楽に人を殺せる膂力を持つ挑戦者を迎え撃つディフェンディングチャンピオンは、挑戦者の体にすっぽりと入るほど小さい。
その、小さき最強の名は――

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